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2010年6月26日土曜日

Angel Beats! 最終話 感想

[EPISODE.13] Graduation
Angel Beats!のストーリーが幕を閉じた。
 前回、ゆりの行動により、「影」は消滅した。
 そして、無理にNPC化されることなく、皆が自分の意志で消えていった。最後には、
「私の人生も、良かったんだな……。この世界でみんなと一緒に過ごしたことで、やっと気付けたよ……」
 と、思い残すことなく、消えていったと信じている。

 そして、最後まで残った五人――ゆり、日向、直井、音無、奏。
 彼らの卒業式が行われた。
 生きることは素晴らしいことなんだ、ということをこれまで皆に伝えようとしてきた奏も、卒業式は初めての体験だった。
 最後に残った、音無と奏。

 音無は奏と、もう少し話がしたかった。
 外に出て、音無は自身の想いを語り始める。
「二人で、この世界に残らないか?」
 そして奏は、真実を語る。
 なぜ彼女がこの世界にいるのか――
 
 彼女は生前、心臓移植を必要とする状況に陥った。そのとき、ドナーが見つかった。かつて音無の妹が見つけられなかった、ドナーを。
 それによって奏は命が助かった。
 彼女は幸運だった。なぜなら、自身が列車事故に遭い、もう死ぬことが分かった、とある人物がドナー登録をしたからだ。
 その列車は、センター試験会場に向かうものだった。土砂崩れにより、トンネルが閉鎖された事故だった。
 その彼は、水や食料を、自身より皆に優先して分け与えた。そのおかげで、ほかの乗客は全員助かった。ぎりぎりのところで、助けが来たのだ。
 だがそのとき、彼はもう生きていなかった。ドナー登録を済ませた直後に、亡くなった。
 その少年の名前は――

 今思えば、奏のあの時の言葉。
「その助かった誰かは、一生、あなたに感謝し続けるでしょうね……」
 というのに込められた想いは、本当に温かいものだったのだと分かる。
 あのときの、奏の天使のような表情も、そういうことだったんだね……。

 奏は、そのことを伝えると、音無に「ありがとう」を伝えて、消えた。そしてその後、音無も消えた。
 二人は来世で会えるのだろうか? 道ですれ違っても、気付かないかもしれない。でも、雰囲気で気付くかもしれない。そういうものだ。だって、誰かを好きになる時も、はっきるとした理由なんて、無いじゃない? 同じ性格の良さを持った人は他にもいるかもしれないし。でも、その人が好き。「波長が合う」という概念も最近考えてるんだ。
 
Angel Beats!”というタイトルの意味や、opで奏がピアノを演奏していた意味も、最終回にして明らかにされた。
天使の鼓動」で、やっぱり正しかったんだね。でも、あのときはその真実に気付いていなかった。今思えば、ドナー登録の話が出てきた時点で、その可能性も気付けたはずなのに、なんで気付けなかったんだろう。いや、気付けなくて本当に良かった……。
 
 それで、このアニメの主題は、「生きることの尊さ」だ。アニメが始まる前に公表されていたように、人生賛歌だ。
 ただ、生きる意欲を失っている人に、
「生きることって素晴らしいことなんだよ」
と言ったところで、心には響かない。むしろ、そう言った人に対して、怒りを覚えるだろう。
なぜ伝わらないか? それは、綺麗事にしか聞こえないからだ。
 ではどうすれば伝わるのか? 具体的なエピソードをその人自身が読み、何かに気付くのである。人に言われるより自分で気付いたことの方が心には響くし、何より、言葉だけではなく具体的なストーリーがあることで、実感もしやすい。
 誰だって、「生きることの尊さ」くらい理解はできる。でも、それを実感している人は少数のはずだ。積極的に死にたいと思うほどではないが、特に生きたいわけでもないという人が大半だろう。私はどうなんだろう? そうだね……迷っている時点で、意志はそんなに強くないのかもしれない。
 でも、それで自然なのかも。だって、
「生きることは本当に、すごいことだ。だから私は、毎日を大切に、だれかのためになるように生きていく!」
 といつも思っていたら、いつかその弦が切れるんじゃないか、と思う。
 でも、無気力に生きたくはない。

 そもそも、生きることって何だ?
 生きることは「熱」だと、最近は思っている。亡くなった人の体は、冷たくなる。
 それに、生きている人でも、無気力だと冷たさを感じる。だから「熱」が、生きていることの証なんじゃないかな、って思ってるんだ。
 
 さて、一つのアニメですべてを描くことなどできない。いや、描けないものもある。描き出せるかどうかすら分からないものもある。なんか、ゲーデルの不完全性定理みたいだね。
 例えば、ゆりの妹達は、自身の人生をどう納得する? 
 生まれてきてすぐに虐待で殺された子供は?
 この他にも、理不尽な人生に納得できない人はたくさんいる。
 そんな人生に納得できる人ばかりでは、ない。

 すべての人が、自身の人生を肯定できるようにすることは、できないのではないか。
 つまり、AB!の皆が最後には幸せを感じて消えていったのも、綺麗事なんじゃないかと思う人もいるはずだ。私だって、そういう気持ちがゼロではない。
 
だから、「ケースバイケース」のような逃げ道的言い方になっちゃうけど、結局は、アニメから何を感じ取るかが問題だと思う。同じ作品を見ても、自身の境遇によって感じるものは違うだろうし。


 あと、アニメを観終わった直後の今だから、こういう心の状態だけど、次に嫌なことがあった時にもこの気持ちを維持できるだろうか? たぶん、無理だ。一時的には心が折れるかもしれない。さっきも言ったけど、常に「熱」を持つ必要はない。
 遠子先輩も言ってたけど、疲れた時には、誰かの想像の世界をちょっとのぞけばいい。すると、そこから打開策が見えてくることもある、ってね。

 このアニメは、「生きること」という、最も大きいテーマに挑戦した。だからこそ、描ききれなかったものもある。たとえば、いじめられて自殺しようと思っている生徒がこのアニメを見たら、立ち直る人もいるけど、無理な人もいると思う。
 でも、いじめをテーマにした話なら? それで、同じ1クールのアニメー――小説でももちろんいい――を見たら? 気持ちの変化も、より大きいと思う。
 自身の境遇にあった作品を見て、生きる意欲を持つ。
 これが、架空の世界に触れる意義だ。
 あと、生まれ変わりを信じるかどうかも、テーマになってくる。
 あるのかないのかが分からない。今の科学を見てると、どうもないような気がしてしまうが、もしも神さまのような存在によって科学の方向が決められているのなら? つまり、論理的に考えると、どちらかは分からないのだ。
 だからそれも、自身の境遇に合わせて、どう考えるべきかを決めるべきだと思ってる。
 こう考えるべきだ、ってのは、無い。

 生きることに疲れた時には、誰かの想像の世界に触れ、生きる意味を見つめ直す。そして、自分も現実世界の誰かを幸せにできるように努力する。

 これが、私の出した結論だ。

 あるテーマにしぼった作品で、今読みたいものもいくつかある。だから、これからその本を読んで、またいろいろと考えたいな。もちろん、その考察を活かす土台もしっかりとさせるために、学校の勉強も頑張らなくっちゃ!。でも今は休息の時間。
 まずは、あの本から読もう――

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