柊涼奈の日常
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2010年10月27日水曜日
キサラギGOLD☆STAR
なんとなく久しぶりに、ブログを更新してみる。
SAGA PLANETSの、このゲームの発売が楽しみな今日この頃。
自分はストーリーよりかは、キャラクターを楽しむタイプなので、今回でいう遠藤沙弥さんみたいな元気少女が登場するとすごく嬉しい。日常生活で落ち込みそうなときとか、励ましてくれそう。
ポケモンアニメのアイリスの「子供ね~」にいつもドキッとしてしまうのは秘密。
そういえば、東野圭吾さんの「秘密」観てますよ。あれは、ドラマではおそらく夫婦の絆の危機の演出がメインになると思うけど、12回は長すぎるかも。この前の、松下奈緒さんが大学院生役だった「探偵倶楽部」のように、2時間ドラマがピッタリだと思うな。
結婚指輪の伏線はすでに登場していたけど、原作の最後はホント感動する。
さて、まあ今日はこんなもんで。
またね~。
2010年6月26日土曜日
Angel Beats! 最終話 感想
Angel Beats!のストーリーが幕を閉じた。
前回、ゆりの行動により、「影」は消滅した。
そして、無理にNPC化されることなく、皆が自分の意志で消えていった。最後には、
「私の人生も、良かったんだな……。この世界でみんなと一緒に過ごしたことで、やっと気付けたよ……」
と、思い残すことなく、消えていったと信じている。
そして、最後まで残った五人――ゆり、日向、直井、音無、奏。
彼らの卒業式が行われた。
生きることは素晴らしいことなんだ、ということをこれまで皆に伝えようとしてきた奏も、卒業式は初めての体験だった。
最後に残った、音無と奏。
音無は奏と、もう少し話がしたかった。
外に出て、音無は自身の想いを語り始める。
「二人で、この世界に残らないか?」
そして奏は、真実を語る。
なぜ彼女がこの世界にいるのか――
彼女は生前、心臓移植を必要とする状況に陥った。そのとき、ドナーが見つかった。かつて音無の妹が見つけられなかった、ドナーを。
それによって奏は命が助かった。
彼女は幸運だった。なぜなら、自身が列車事故に遭い、もう死ぬことが分かった、とある人物がドナー登録をしたからだ。
その列車は、センター試験会場に向かうものだった。土砂崩れにより、トンネルが閉鎖された事故だった。
その彼は、水や食料を、自身より皆に優先して分け与えた。そのおかげで、ほかの乗客は全員助かった。ぎりぎりのところで、助けが来たのだ。
だがそのとき、彼はもう生きていなかった。ドナー登録を済ませた直後に、亡くなった。
その少年の名前は――
今思えば、奏のあの時の言葉。
「その助かった誰かは、一生、あなたに感謝し続けるでしょうね……」
というのに込められた想いは、本当に温かいものだったのだと分かる。
あのときの、奏の天使のような表情も、そういうことだったんだね……。
奏は、そのことを伝えると、音無に「ありがとう」を伝えて、消えた。そしてその後、音無も消えた。
二人は来世で会えるのだろうか? 道ですれ違っても、気付かないかもしれない。でも、雰囲気で気付くかもしれない。そういうものだ。だって、誰かを好きになる時も、はっきるとした理由なんて、無いじゃない? 同じ性格の良さを持った人は他にもいるかもしれないし。でも、その人が好き。「波長が合う」という概念も最近考えてるんだ。
“Angel Beats!”というタイトルの意味や、opで奏がピアノを演奏していた意味も、最終回にして明らかにされた。
「天使の鼓動」で、やっぱり正しかったんだね。でも、あのときはその真実に気付いていなかった。今思えば、ドナー登録の話が出てきた時点で、その可能性も気付けたはずなのに、なんで気付けなかったんだろう。いや、気付けなくて本当に良かった……。
それで、このアニメの主題は、「生きることの尊さ」だ。アニメが始まる前に公表されていたように、人生賛歌だ。
ただ、生きる意欲を失っている人に、
「生きることって素晴らしいことなんだよ」
と言ったところで、心には響かない。むしろ、そう言った人に対して、怒りを覚えるだろう。
なぜ伝わらないか? それは、綺麗事にしか聞こえないからだ。
ではどうすれば伝わるのか? 具体的なエピソードをその人自身が読み、何かに気付くのである。人に言われるより自分で気付いたことの方が心には響くし、何より、言葉だけではなく具体的なストーリーがあることで、実感もしやすい。
誰だって、「生きることの尊さ」くらい理解はできる。でも、それを実感している人は少数のはずだ。積極的に死にたいと思うほどではないが、特に生きたいわけでもないという人が大半だろう。私はどうなんだろう? そうだね……迷っている時点で、意志はそんなに強くないのかもしれない。
でも、それで自然なのかも。だって、
「生きることは本当に、すごいことだ。だから私は、毎日を大切に、だれかのためになるように生きていく!」
といつも思っていたら、いつかその弦が切れるんじゃないか、と思う。
でも、無気力に生きたくはない。
そもそも、生きることって何だ?
生きることは「熱」だと、最近は思っている。亡くなった人の体は、冷たくなる。
それに、生きている人でも、無気力だと冷たさを感じる。だから「熱」が、生きていることの証なんじゃないかな、って思ってるんだ。
さて、一つのアニメですべてを描くことなどできない。いや、描けないものもある。描き出せるかどうかすら分からないものもある。なんか、ゲーデルの不完全性定理みたいだね。
例えば、ゆりの妹達は、自身の人生をどう納得する?
生まれてきてすぐに虐待で殺された子供は?
この他にも、理不尽な人生に納得できない人はたくさんいる。
そんな人生に納得できる人ばかりでは、ない。
すべての人が、自身の人生を肯定できるようにすることは、できないのではないか。
つまり、AB!の皆が最後には幸せを感じて消えていったのも、綺麗事なんじゃないかと思う人もいるはずだ。私だって、そういう気持ちがゼロではない。
だから、「ケースバイケース」のような逃げ道的言い方になっちゃうけど、結局は、アニメから何を感じ取るかが問題だと思う。同じ作品を見ても、自身の境遇によって感じるものは違うだろうし。
あと、アニメを観終わった直後の今だから、こういう心の状態だけど、次に嫌なことがあった時にもこの気持ちを維持できるだろうか? たぶん、無理だ。一時的には心が折れるかもしれない。さっきも言ったけど、常に「熱」を持つ必要はない。
遠子先輩も言ってたけど、疲れた時には、誰かの想像の世界をちょっとのぞけばいい。すると、そこから打開策が見えてくることもある、ってね。
このアニメは、「生きること」という、最も大きいテーマに挑戦した。だからこそ、描ききれなかったものもある。たとえば、いじめられて自殺しようと思っている生徒がこのアニメを見たら、立ち直る人もいるけど、無理な人もいると思う。
でも、いじめをテーマにした話なら? それで、同じ1クールのアニメー――小説でももちろんいい――を見たら? 気持ちの変化も、より大きいと思う。
自身の境遇にあった作品を見て、生きる意欲を持つ。
これが、架空の世界に触れる意義だ。
あと、生まれ変わりを信じるかどうかも、テーマになってくる。
あるのかないのかが分からない。今の科学を見てると、どうもないような気がしてしまうが、もしも神さまのような存在によって科学の方向が決められているのなら? つまり、論理的に考えると、どちらかは分からないのだ。
だからそれも、自身の境遇に合わせて、どう考えるべきかを決めるべきだと思ってる。
こう考えるべきだ、ってのは、無い。
生きることに疲れた時には、誰かの想像の世界に触れ、生きる意味を見つめ直す。そして、自分も現実世界の誰かを幸せにできるように努力する。
これが、私の出した結論だ。
あるテーマにしぼった作品で、今読みたいものもいくつかある。だから、これからその本を読んで、またいろいろと考えたいな。もちろん、その考察を活かす土台もしっかりとさせるために、学校の勉強も頑張らなくっちゃ!。でも今は休息の時間。
まずは、あの本から読もう――
2010年6月20日日曜日
「生徒会の八方」感想
一話完結の生徒会の日常風景を描いたものも、もちろんあります。
卒業式も迫り、物語も終盤に近付いてきたようなので、ここで、葵せきな先生の前作「マテリアルゴースト」について。生徒会の一存シリーズとの比較をしてみることで、きっと気付くこともあると思います。
マテリアルゴースト4巻の冒頭の一文を引用します。
「どうしてあの結果に至ってしまったのかという問いに対しては、今の僕でも、ハッキリと答えを返すことができない」
この物語の主人公の式見蛍(しきみけい)は、杉崎鍵と同じように、複数の女の子から好きという感情を持たれます。それに対して彼はどのような決断をしたのか? あなたは、この冒頭の一文から何を感じるでしょうか?
さて、ここで、真儀瑠紗鳥の存在が大切になってきます。
彼女は式見蛍の先輩で、同時に式見蛍を好きになった一人の少女でもあります。
それから年月が経ち、今では碧陽学園生徒会顧問です。彼女の目から見て、杉崎鍵の恋愛はどのように見えるでしょうか? かつて杉崎鍵と同じような悩みに苦しんだ式見蛍を当事者として見ている分、杉崎に思うところもきっとあるでしょう。
真儀瑠先生なら、かつての経験をもとに、杉崎に何か大切なことを伝えられるかもしれないと、思っています。でも彼女のことだから、言葉には出さないかもしれませんね。
生徒会の八方で、真儀瑠先生の出番は少ししかありませんし、それも杉崎の恋愛とは関係のないものです。真儀瑠先生の過去も見つめ、今の彼女なら杉崎にどう言うかを考えてみてほしくて、彼女のことを書かせていただきました。
「生徒会の八方」で物語は進みますが、まだ完結はしていません。杉崎鍵と、彼を好きになった女の子たち。皆の想いは、これからどのように動いていくのか、楽しみにしています。
2010年6月19日土曜日
Angel Beats! 第12話 感想
突如として「影」が現れ、意志を持つ者たちををNPC化する動きがあった。SSSのメンバーはNPCになることに抗い、「影」たちと戦う。今回はその戦いの続きからだ。
音無の考え方、つまり、神と戦うのではなく、「俺の人生もいいものだったんだな……」と思えるものを見つけ、ここから卒業していくべきだというものに賛成する者は少なからずいた。だが、「そんなの認められない! それじゃあこれまで俺たちは何のために戦ってきたんだ!」と、考えを受け入れられないものもいる。
だが今のこの状況、することは両者とも同じだ。「影」と戦わなければならない。
皆が音無の考えを、いや、自分の心の中でもいつしか気付き始めていたその考え方を認め、ここから去っていく決意をするようになると私は信じている。
一方、ゆり。第一コンピュータ室からギルドへの道筋をたどっていた。途中、「影」に襲われ意識を奪われそうになるが、必死に抗った。まだ終われない、と。
「向こうの世界」つまり、ゆりが本来の制服を着て授業を受けている世界でゆりは必死に抵抗し、元の世界に戻ってこれた。奏の言っていた「壮絶な戦い」とは、こういうものだったのかもしれない。まさに、自分との戦いである。その際、音無、日向、奏、ついでに直井の思いに助けられた。彼女ひとりだけではNPC化してしまっていたのかもしれない。
奏が音無の背中からヒョコっと顔を出すシーンは、かわいかったなあ……///
そして、彼女はたどり着く。第二コンピュータ室。
そこに一人の男が存在していた。
彼もNPCのようだ。遠い昔にプログラミングされた存在。彼がAngel Playerを操り、「影」を生み出す条件は、「愛が生まれること」だと彼は言う。
愛を知り消滅するものもいる。だが、神への抗いを続けるならば、愛を感じていても消えないだろう。だが、愛がこの世界に蔓延してしまっては、この世界は「永遠の楽園」となってしまう。それではいけない、とAngel Playerのプログラマーは考えた。そして、「影」のプログラミングをした。
そのプログラマーの彼は、愛を知りこの世界から去っていってしまった女性を待ち続けたが、その時間が長すぎ、もう耐えられなくなる。そして自身をNPC化するプログラミングを組んでしまう。彼は、果たして報われたのだろうか? それは、分からない。
この場面で、夏目漱石の夢十夜の第一夜を彷彿とさせた。そこでは彼は最後に、百合(ゆりっぺ?)の花、つまり待ち続けていた女性と会うことができた。別に、この話はAngel Beats! にあまり関係無いと思うが、連想したので書いただけである。
そして、ゆりの目の前に座る彼は言う。ここまで辿り着いた、ゆりには選ぶ権利があると。それこそ、このシステムを使ってこの世界の神になることもできる。永遠の楽園を作ることもできる。
「神さまのいない日曜日」でも、死者のための「永遠の楽園」の是非に関する議論が行われていた。墓守としてアイは、相反する考えを持った父と母の意志を引き継ぎ、それらを止揚した世界を作ろうと進む。そこまでが一巻だった。二巻ももう出てるみたいなので、読む必要があるが。
「永遠の楽園」といえば、博麗霊夢は「楽園の永遠の巫女」だったな。幻想郷も、永遠の楽園なんだろうか? それを脅かすものもあるのだろうか?
世界のシステムで、「夏空カナタ」も思い出した。塔弦島では、一人の女性が一生、ある部屋から出ない、という犠牲により島の存在が守られている。Angel Beats! で、一人の女性の犠牲といったらやはり、奏を思い出す。彼女は最終回でどうなるのだろうか? 彼女も、消える、いや、卒業できるのだろうか?
これまでに鑑賞した作品と比較検討することは大切だが、ちょっと脱線しすぎたので、ここで本題に戻る。
そして、ゆりの決断の時。「やっとこの世界を手に入れた! ついに神様にも勝ったんだ!」という思いを、以前の彼女なら持っただろう。だが、こんなに愛しい仲間を持った今の彼女には、そんな思いはない。
ゆりは、自身の感情が不思議だった。皆と仲良くなったのに、どこか変な感じ。
「そうだ、私の原動力は、妹たちを理不尽な死に追いやった神への復讐心だったんだ。なのに今は、その思いが妹たちだけのものではなくなってるんだ……」
そう思った彼女に、妹たちは語りかける。「お姉ちゃん、もう苦しまなくていいよ。ありがとう」と。それは、実際に妹たちが言った言葉ではない。ゆりがそう思えるようになったのだ。神と最後まで戦い続けたからこそ、そう思えるようになったのである。
「妹達」といえば、レールガンでも「姉としての行動」が描かれていた。
そして彼女は、その部屋のコンピュータをすべて破壊する。「影」をなくし皆を救い、共にこの世界から卒業するためである。
卒業した後、ゆりはどんな人生を送るのだろうか? エンディングにもあるように、そのときはもう、強い女の子ではない。普通の女の子の弱さで涙を流すと思う。
オープニングは奏のことが歌われている。奏はこの世界に来た人々のために、一生懸命頑張り続けてきた。普通の学生生活を送らせる努力を続けてきた。普通の生活がどれだけ幸せかは、ゆりが「向こうの世界」で経験したことを見た私には、理解できた気がする。でも、「理解」はできたが、「実感」はできていない。普通の生活を幸せだと感じるのは、簡単ではない。
そして最終回。
――卒業生代表、音無結弦
皆がこの世界から卒業するときが、ついにきた。
その中に奏は含まれているのだろうか。彼女には、音無たちとともに卒業したいという思いもあるが、この世界を守り続けたいという思いもあるはずだ。その葛藤の末に彼女がする決断はどのようなものなのだろうか?
ここで、Angel Beats! というアニメの世界から、現実世界に戻ってみる。この現実世界はどのようにしてできたのか。時間、空間、そもそも「存在」を生み出したのは何なのか? それが分からないように、Angel Beats! の世界観も完全には分からない。アニメ、つまり創作物だからといって、完全に理解できるものではない。アニメの原作者もその世界がどのようにしてできたのかを、まだ考えているのかもしれない。そして、それを考えることは私たちにもできる。
理不尽な死を遂げた者のための世界。このような世界がなぜあるのか?
それを考えることは、私たちの生きる現実世界がなぜあるのか、を考えることにも結び付くかもしれない。
Angel Beats! は、1クールという短さの中でとても多くの物を私に与えてくれた。もちろん、描ききれてない部分も多いのも事実だ。
ゆりはどのようにして死んだのか? これまでにも、SSSのようなメンバーはいたのか? これからのこの世界はどうなるのか? 奏はいつからいるのか? 奏がAngel Playerと出会ったきっかけは?
だが、アニメの中ですべてを示す必要はない。すべてが示されないことで、私たちが考えることができるからである。
一般に、アニメが終わると、その主題に関する考察もやめてしまうことが多い。だが、その考察を続けてこそ意味がある。その主題とは、「生きる意味」である。
「Angel Beats! ってどんなアニメなの?」と聞かれたら私は、「理不尽な運命に抗い続けた果てに、何か大切なものを見つけた人々のお話だよ」と答えたい。
だが、私の生きるこの現実世界で、理不尽な死を強いられた人は報われるのか? アニメでは報われていたが、現実ではどうなんだ? ということに関しては、考察をかなり続けているのに、分からない。
でも、「アニメと現実は違う」の一言で済ませたくはない。だから、「理不尽な運命」にどう立ち向かうべきなのかについては、これからも考え続けていきたい。
2010年6月12日土曜日
Angel Beats! 第11話 感想
[EPISODE.11] Change the World
【あらすじ】
突如、イレギュラー因子としての「影」が出現し、SSSのメンバーに襲いかかる。そして、メンバーの一人、高松が魂を奪われNPCと化してしまう。
ゆりは緊急集会を開き、SSSの皆に現状を伝える。と同時に、音無の考えていることも皆に話させた。自分のことは自分で決めるようにと、言った。
最後にゆりは、PCを盗みNPCにプログラミングし世界を改変しようとする神を気取った人物の存在にたどり着く。そして、PC室からの抜け穴を見つけ、そこがギルドにつながっていることに気付く。
次回予告からも、神が存在するのかもしれないと思われる。
【奏について】
――奏には生前、とても仲の良い友人がいた。名前は遥といった。
「もー、また奏は麻婆豆腐なの~?」
「…だって、おいしいから」
二人はいつも昼食を、向かい合って食べていた。
遥は普段は明るくふるまっているが、学校でも家でも居心地が悪いということを、奏は聞かされていた。
奏といる時間だけが、彼女にとって幸せな時間だったのだ。自分の悩みをいつも静かに聞いてくれて、そして冗談を言った時には明るく笑ってくれる。そんな奏が、彼女は大好きだった。
しかしある日、遥の様子が急におかしくなった。前は困った時には奏に相談していたのに、急に何も話さなくなった。
いつもは奏から話しかけることはなかったが、流石に今回のことに異変を感じ、
「遥、どうかしたの?」
「…………」
語りかけても、こちらに見向きもしない。
なんで何も話さないのよ! 前はちゃんと話してくれてたのに…。
奏は何も話してくれない遥に、寂しさを感じていた。
そして、二人が話さない日々が続いた。
「ねえ、あの遥って子、自殺したらしいよ」
「え~、マジー? 自殺とか、まじ笑えるんだけど~」
え? なんで? 遥が、自殺?
……私のせいだ。遥は何も話そうとしてなかったけど、きっと話したかったんだ。それなのに、彼女が話してくれなかったという理由で私もいじけて、話そうとしなかった。
私の、せいだ――
――そして、死後のこの世界。
奏は、遥のように誰にも救われることなく、理不尽な死を遂げる人が出ないようにしたいと強く思った。あるいは、理不尽な死に方をした人が報われるようにしたいと思った。
そのために自分に何ができる?
それを奏は考え始めた。
それが、彼女がここにいる理由。
戦い続ける、理由。
奏「……という物語を考えたのだけれど、果たしてこれは私のイメージアップにつながるのかしら?」
結弦「っておい! イメージアップってお前そんなキャラじゃないだろ!」
奏「天使ちゃんマジ天使…ふふ…」
結弦「壮絶な戦いになりそうだな…」
奏「ほら、かなでなでなで、して?」
結弦「…そうだ、そういえばなんでお前の友人の名前を遥にしたんだ?」
奏「オーバードライブはパッシブだから…」
結弦「使いどころ違うだろ!」
奏「さあ…、このブログの作者の名前が遥だからじゃないかしら?」
結弦「メタだな…」
以上、私の想像は終了です。
次回、神さまが出てくるようだから、展開を楽しみにしている。
ちなみに、この物語は、Artificial Children(東方アレンジ)を聴きながら、書いたんだ。
以上です。
2010年6月5日土曜日
Angel Beats! 第10話 感想
奏は器用なところもあるけど、不器用なとこもあるって感じ。演技は下手なのかも。
ユイは生前、体を自由に動かせなかった。そのため、興味を持った野球やサッカーもできなかった。そして、女の子の夢の「結婚」もできなかった。
しかし、もし来世で出会えたなら、そんな彼女でも必ず受け入れることを日向が約束し、ユイは安心して消えた。
ゆりの妹や、音無の妹だって理不尽な死(殺人や病気)なのに、この世界にはいないようだ。もうずいぶん前に満足して消えた可能性もあるが。
今後の展開で、彼女たちと出会うことで、ゆりや音無が満足して消えるのかもしれない。
しかし、opにもあるように、奏はそんな人々を見送り続け、自身は孤独なままである。そんな彼女を独りぼっちのまま、音無が放っておくとも思えない。
だから、最後にはどうなるのかが想像がつかない。そこが、おもしろい。
しかし、やっぱりこういう展開になった。天使が、本当は皆の見方なのに、自ら敵を演じる。自己犠牲。音無という支えがあるが、それでも辛いと思う。でも、皆の幸せそうな笑顔を見たら、奏も満足なのかもしれない。
普段の安らぎは、麻婆豆腐だけ。そんなささやかな幸せも、俺、奪っちまった…というのは許せない。でも、音無はそれも反省してたし、今ではすっかり仲が良い。
音無と天使が話してるところを、戦線のメンバーに見られたらどうなるだろう?
あと、最後に出てきた「影」はなんだ?
「ま、勉強とか部活とかができるだけで幸せだよな」と諦観することも時には必要なのかもしれないが、それだとこの世界から消えてしまう。そうして消えるのも悪く何のかもしれないが、やはりもう一歩先まで進みたい。
彼らのこれからの行動を見守りたいと思う。
それから、最初はこんなにたくさんの名前覚えられないよ><、と思ってたけど、今では全員覚えた。3カ月の間で、彼らのことがほんの少し分かった気がする。
このアニメが終わっても、現実での理不尽な出来事に対する気持ちの整理と行動、に関する考察は、やめない。